2025.05.28
カスババ / 横浜美術館、もしくは聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと

「カスババ」めちゃ良かった。良かったが、引っかかるところもあって、理由はわかりかねた。わかりかねたまま一ヶ月が経った。経ったところで、わかりかねたなりに書いて整理してみようと思った。書き始めてみると、自分の書く文章が混乱の最中にいるのがわかった。それが今だ。

「カスババ」は東京都写真美術館にて開催されていた、写真家・鷹野隆大さんの展覧会である。(この題は同名の風景写真のシリーズが元となっている。)決して広くはない会場に、社会的価値観に照らし合わせると「よくない」「よそもの」「わからない」とされてきた人や物を被写体とした大小さまざまの作品、それらを自立させるための壁が立ち並ぶ。マンションの中庭みたいな空間だ。隙間をすり抜けるように歩いていくと裸の男たちに出会し、肥満、体、スキャンされた手が並び、誰が撮っても同じような風景写真、その背後には子供の声や影、ぐるっと回りこむといつのまに元いた場所に戻ってしまった。全身鏡に気付かず鼻をぶつけたときの気持ちになる。

会場を何周かしたのち、部屋の奥の方のベンチ(といっても、作品什器と接合している)に腰掛けてしばらくぼんやり空間を眺めていたら目の前には写真が並んでいて、ふと、そういう展覧会なんだな、と納得する。

裸の人がカメラの前に立ってシャッターを切れば性器が写る。ただシャッターを切る時、全ての被写体は写真が無差別に目の前のものを写せてしまうことの証明としてのみそこにいる。だから人間は、さまざまな価値づけを行いたくなる。というか、そうしないことは難しい。さもなくば、眼前には主体の所在が不明瞭で、かつ、自分より強大で制御不能なイメージが現れる。

「カスババ」の面白みはここにあったと思う。

どういうことか。

写真は決して目に見えた通りに写るわけではない。しかし、こと日本では1930年代〜戦後にかけての、対外宣伝や国威発揚のために撮られた「報道」写真を経て、リアル(史実に立ち会うことでのみ撮影可能になる)かつ社会的な機能を持つものこそが写真であるという論理が定着した。そして今日その傾向はますます強くなっている。他方で、現代美術の中において写真は絵画や彫刻そのほかのジャンルと同じく「全ての作品には制作者の意図がある」という前提で検討されるので、撮影=制作主体の代理表象、もしくはそれに付随するメディア論的な問いに終始する。そうすると、「これは写真ではない」もしくは「これは写真の写真だ」というような、写真概念の拡張を拒み、写真それ自体(ってなんだよ)の領分を守るための言説もまた強化されていく。

翻って「カスババ」で行われていたのは、写真における議論を「何を写すか」「だれがどのように写すか」から「写るかどうか」まで移動させることだったと思う。それによって、写真の主体が変容する。撮影者・被写体もしくは鑑賞者とも言いがたければ、カメラでもない、しかし確実に、ただそこに居る主体とは、一体なにものなのか?

ここまで書いて、ふと、自分の興味は写真の画面自体(イメージ生成と言い換えても良い)ではなく、写真が撮られた後の扱われ方や、写真を取り巻く環境にあるのかもしれないということに気づく。そうした環境がどのようなものかを確かめたくて、自分で、写真を撮っている。どうして全然写ってないのに、記録として有効なんだろう。

しかしもしかしたら自分は、自分が撮った写真以外から出発するものを作るべきなのかもしれない。

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先日、横浜美術館のリニューアル記念展をみた。

「おかえり、ヨコハマ」と題されたこの展覧会は、横浜を記録する様々な物体を自館/市内各所の収蔵品を織り交ぜて展示するというもの。展示品は土器から始まり、歴史の順に追って絵や陶器、地図、写真、そして映像やインスタレーション…と様々であったが、途中で事物の記録媒体を担うものが絵画から写真へ交代する瞬間があったように感じて、面白かった。と同時に展示の後半は、そうした記録媒体の役割を「美術館」という仕組みへとスライドできるか?という賭けに満ちたキュレーションがなされていたように思う。でもこれは、私自身の生まれ育ちに起因するところもあるかもしれない。小学校は横浜の保土ヶ谷、中学高校は横浜の港北だった自分としては、校外学習や宿題のためにいく美術館が横浜美術館だった。コの字型の経路を進むにつれ、空間に散らばった作品たちを見る過去の自分が立ち上がってくる。

展示室を出ると、階段下の広場には淡い色合いの椅子や机が並んでおり、さながら貿易港のようであった。飾る宝も入りくる港(*横浜市歌)などと口ずさみながら腰掛けてしばらく辺りを見回していると、奥から飯岡さんが現れた。久方ぶりの再会、展示よかった、中学生の時に港北で見た土器に再会できたっぽくてうれしかったです、などと伝え、そこからしばらくお互いの制作進捗などを話す。

次の日、会社で仕事をしていると、倉知くんから突然「横浜美術館でやっと百瀬さんの作品みれました|めちゃ面白かったです」という連絡。「百瀬さんの作品」というのはこれのこと。確か、二人展の打ち合わせで「好きな映像作品」の話になった時に自分が当作品を挙げたのだったと思うが、果たして本当にそのタイミングだったかは自信がない。とにかく私のレコメンドを倉知くんが覚えていてくれて、それで連絡をくれたのだ。

私があの作品を初めて見たのは、緊急事態宣言が解除されてすぐの渋谷だった。展示会場となっていた渋谷公園通りギャラリーはその名の通り公園通りの五合目、ちょうどパルコの向かいにある。映像を見終わって放心したまま交差点に放り出されると、そこにはマスクを外したまま渋谷を行き交う人たちがいて、両方の目にみなさんの動く口が入ってきて、そこで世界の見え方が変わった。あの日の渋谷を私は忘れないと思う。

2023.12.31
2023年備忘

今年の夏頃に自宅/事務所とも、制作条件をペンタブ+マウス→マウスのみ に移行した。

22年末ごろからinDesignにおけるペンタブレットの挙動不安定さに悩まされつづけていたものの、調子が狂ったらどうしようという思いからなかなか「ペンタブを使わない」というところには至っていなかったが…やってみれば意外となんてことないわ。なおマウスは引き続きこれを使っています。

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今年のよかったものなど(順不同)

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杉本真維子『皆神山』 http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_3023.html

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吉村 弘『吉村 弘 風景の音 音の風景』(於 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館) http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-yoshimura-hiroshi

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ムジカティーの鉄観音茶葉 https://musicatea.net/2021/07/23/%E9%89%84%E8%A6%B3%E9%9F%B3/

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ミュージシャンの友達の突発性難聴が治癒したこと

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武田珂代子『通訳者と戦争犯罪』https://www.msz.co.jp/book/detail/09617/

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Caroline Polachek『Blood and Butter』https://carolinepolachek.bandcamp.com/album/desire-i-want-to-turn-into-you

2月に出たアルバムの8曲目。3:10〜のセクションが発明品という感じがしておもろい。プロデュースはDanny L Harle

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PC Musicが活動停止を発表したこと。

これは大変寂しい。私の浪人-大学生活は常に彼らとともにありました。PC Musicにかんしては別の機会に書きたい

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桐野夏生 『残虐記』https://www.shinchosha.co.jp/book/130635/

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河庄https://maps.app.goo.gl/UY7RtHG569ULWdFV9

青森駅からギリギリ歩けない距離にある寿司屋

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柳宗理 パンチングストレーナー(ザル) 19cmhttps://www.prokitchen.co.jp/products/detail.php?product_id=8436

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Hermeto Pascoal / Stephan Kurmann Strings『Stephan Kurmann Strings Play Hermeto Pascoal』https://www.youtube.com/watch?v=naw871O-vtI

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有賀 薫『ライフ・スープ』https://presidentstore.jp/category/BOOKS/002472.html

味噌汁以外の汁物が欲しい時に開く本

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アーティストの雨宮庸介さんが撮影の時に剥いてくださった、硬い桃(撮影の成果はこれです)

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肉どろぼう https://www.asamurasaki.co.jp/shopdetail/000000000036/

2023.12.17
友人 / 長時間露光 / 新津保建秀「消え入りそうなほど 細かくて 微妙な」

ピザ屋を出ると細かな雨で濡れた眼鏡を拭きもしない友人はもう直ぐ誕生日を迎えるから今年の秋の展覧会で見せた写真のプリントを渡そうと思っていた、玄関に忘れてしまったから一緒に歩いて家に向かう途中のロイヤルホストが見えたあたりで点けたライターの火を見てこのテキストを書き始めました。

友人に渡したのは、自分が2020年ごろから制作している、「長時間露光で多摩ニュータウンの周縁を撮影する」シリーズのうちの一つだ。

長時間露光といっても、シャッターが開いている時間はだいたい2~30秒、長くても1分以内。夜中に住宅地や道路で三脚を立ててじっとしていても怪しまれないギリギリの時間を攻めると、このくらいになる。大体1分を超えると「きみ、何してんの」と声をかけられたり、通報を喰らったりする。逆に「きみ、さっき何してたの」と聞かれたことは一度もない。

自らの現在が脅かされない限りは他者に関わらないし追求もしない。三浦展はニュータウン開発においてデベロッパーが「現在」を最優先することで地域の歴史や独自性が失われることを「ファスト風土化」と呼んだが、歪な形で「現在」に固執するような価値観というものはニュータウンの中よりもその周縁に立ち現れる、というのが個人的な感触ではある。

長時間露光は「現在」を無かったことにする。

無かったことに、というと語弊があるかもしれないが、時間とは、その瞬間に立ち会えない過去の自分も含めた全ての人が、物事を後から整理していくための指標だと思う。しかし露光(瞬間の連続)が続く限りは、ある時間同士が等しく並び続けて差異が無くなる。

例えば30秒の露光時間の中で1秒目におまえがカメラの前を横切って、29秒目にもう一度同じ速さで横切ってもらう。そうすると画面内にはおまえが2度露光されるが、どちらのおまえが1秒目のおまえで他方が29秒目なのかはわからない。そして、おまえと俺だけはどちらが2度目かを知っていて、2秒目から28秒目までの間に何があったのかを知っている。

こんなに細かくて個人的な瞬間を公開するにはそれなりの段取りが必要で、その段取りこそ「作品」と呼ばれるものの成立条件だ。写真は撮影した瞬間が撮影者自身によって隠蔽された状態で完結する。自分は、写真単体でどうしたらそれを解決できるのか、そもそも自分はどうしたいのかがいまいちわからない。だから撮影したものをそのまま額装して展示したり、写真集みたいなものを作ることはなるべく避けていたのだろうな。でも、多分そういう不満には、輪郭が危ういうちに向き合ったほうがいいだろうな。と、プリントを受け取った友人の顔を見て思った。少なくとも、来年頭からは写真集を作る作業を始めたい。

写真集といえば、好きな写真集のうちの一つに新津保建秀さんの「\風景」がある。けどこれに関しては別の機会に書くとして、新津保さんが今年の晩春に行われていた展覧会がすごくよかったんです。展覧会は大小2つの部屋に分かれていて、まず大きい方の部屋ではここ10年ほどで撮影したさまざまな作品が丁寧に配置されていた。どの写真も静けさに満ちていて、決してすんなり「綺麗!」とは言わせないような変な力を持った画面だった。右奥にはもう一つ小さい部屋があり、そこには展覧会制作の10年を圧縮するかのような写真やドローイング、テクスト群などが置かれ、部屋の突き当たりにはライターの発火の瞬間をハイスピードカメラで捉えた映像作品が展示されていて、そのディスプレイが目に入った瞬間、なんだか見てはいけないものを見てしまった、と思った。その瞬間、この展覧会の何が変なのかがわかった気がした。新津保さんの展覧会で問われていたのは「そう見えてしまう」というメタな見立てではなく、単に「見てしまう」ことなんじゃないか。

火は人に何かを見せるために使役されるけど、海沿いの発電所の火自体を見る機会なんてほとんどないし、タバコを咥えたら口元を手で覆う。火がつく瞬間は大抵の場合隠されていて見ることができない。でも一つだけ例外があって、それは火を貸す時だ。

火は仲が良ければ貸せるというわけではないのが面白いなと思う。旅先の喫煙所で知らないおじさんの口元を覆う時にだけ火は見える。新津保さんの展覧会は、そうやって普段見えないものを見る瞬間は確かにあり、そしてそれは物事の積み重ねや技術によって可能になるのだ、という圧倒的な確信で貫かれていた。だからタイトルに「微妙な」って点いてるんですね。

2023.11.12
清原惟「すべての夜を思いだす」 / 多摩美芸祭 / 「風景論以後」

先日、清原惟さんの新しい映画「すべての夜を思いだす」を観る機会に恵まれた。

映画は多摩ニュータウンの永山〜諏訪を舞台としていた。ここは第一次入居地区と呼ばれ、開発計画の歪みによって電車やバスといった交通インフラよりも先に住宅地への入居が進められた地区である。印象的だったのは、登場人物個々の物語はすべて同じ時間軸を有しているにも関わらず、それぞれはニュータウンの車道/歩道における歪な導線よろしく交わらないこと。そしてそれぞれの血族的な家族、すなわち登場人物たちをニュータウンに存在させるための根本的な理由が語られないせいで、却ってニュータウンの総体としての家族像が立ち上がるような瞬間があったことだ。

のだが、それよりも気になるのは音であった。映画に低音が登場しない。自分の耳がぼけていなければ、車の振動より低い音(おおよそ60hz以下?)が物語からさっぱり抜け落ちていた。途中までは映画館の音響のせいかと思っていたが、物語後半で一人の登場人物が花火をしながら「クラブに行って」と発話するシーンがあったから、おそらく、そういうふうに設計されていたのかもしれない。あのシーンは、「クラブ」という言葉から車の低音が思い起こされる、不思議な時間だった。

車の音で思い出すのは、音出し実験のこと。

自分が通っていた多摩美術大学では、秋の芸術祭で音楽サークルが大学敷地内にそれぞれ小屋を建て、演奏をするという慣わしがあった。校舎はニュータウンと工業地帯の緩衝地点にあったから、少しでもうるさければ近隣住民からのクレームが入ってしまう。

デザインウィークでの事故五輪エンブレム問題の影響もあっただろうか、大学と近隣住民との力関係は年々不均衡になっていた。騒音へのクレームがつづけば、芸術祭の存続、ひいては大学自体の社会的な体裁が危うい。それで、毎年夏休みの一日を費やして「音出し実験」—小屋を建てて演奏を行い、出せる音量の上限を決めるのだった。

真昼間の住宅地から大学の校舎の方に手持ちの騒音計を向けて、「じゃあ演奏してください」とラインを送る。耳を澄ますと四つ打ちのキックや歪んだギターのパワーコードが聞こえてくるが、それよりもうるさいのは大学と住宅地の間を走るトラックだった。決して低音とは呼べないようなエンジンの音や振動。出所が演奏なのか車なのかわからない数値を打ち込みながら、ふと思った。ニュータウンに存在しないのは神社やいかがわしい場所ではなく、低音ではないだろうか?

ところで、大学の芸術祭には今年たまたま行く機会があった。テクノ研究会の後輩の近藤さんに呼ばれDJをすることになったのだ。彼から届いたメールには、丁寧な出演依頼のオファーとともに、もう「音を出す小屋」というものが芸術祭に存在しないこと、だから今年は講義室を改造してクラブ化するのだ、ということが書かれていた。

馴染みの景色をそのままに、音だけが消え去ってしまったら悲しい。芸祭当日、かつて小屋があったところは構造そのままに別のサークルが入っており、ほとんど沈黙が貫かれていた。低音はどこへ行ったのだろうか。今現役の学生たちはかつてのことを伝聞か写真以外で知る由はないのだそうで、しかし小屋にあった熱気や活力はそっくりそのまま、いやそれ以上に増幅された状態で講義室に移植されており、その様子にとにかく救われた。自分のDJは酷いものだったけど、低音を鳴らし続けてくれた皆のおかげでとても楽しい一日になった。ありがとうございます。

原爆はピカドンではなく無音だった、という話を、東京都写真美術館での「風景論以後」展を見た時に思い出した。

この展示は1960〜2000年代の「風景写真」の変遷を、それらを取り巻く資料ととも展示することで体系的に検証する、というもので、5つに区切られた展示室は1→2→3→4→5→1と回遊するような導線が敷かれていた。1部屋目には映像作品がなく、2〜5部屋目は映像作品同士の音が干渉し合うようにして展示がなされていたのだが、そのことが却って、1部屋目の無音を自分に覚えさせた。

1部屋に展示されていたのは笹岡啓子さんの作品群。広島平和記念公園周縁の撮影を軸としたそれらは大きくふたつのシリーズに分けられ、一つは現代(おそらく2020年以降)の写真で、もう一つはそれらに1945年以前に撮影された古い写真を重ね合わせる(投下する)ものだ。

無音の展示室で見る笹岡さんの写真からは、一瞬の無音とそのあとから現在に至るまでの無数の音の存在、そしてそれらの記録できなさにどう対峙するかという問いを見出せるように思えた。と同時に、「風景写真」の実践とは、戦後〜高度経済成長期の「風景が変わる」スピード…復興や開発、世の中にとっては良しとされるような大義名分によって眼前が自分の知らない風景になってしまう速度に唯一抵抗できる手段だったのかもしれない、とも思った。

風景を記録するには絵は遅すぎて、それ自体の描画に時間のかからないメディアを使う必要がある。そうすれば風景の見た目は思い出せるかもしれない。でも、その時に鳴っていた音はどこに行くのだろう。鳴らし続けることができればまだ良い。しかし、その音をもう鳴らしたくない時、聞かせたくない時はどうすれば?

2023.10.15
ホームスチール

このテキストは、個展「ホームスチール」(2023年2023年9月29日-10月8日,於 The 5th Floor, 東京)のハンドアウトに掲載されたものです。

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まず初めに行ったのは、いままで撮影したフィルム写真のデータ整理だった。

フィルム写真、と自分が呼んでいるのは、35mmネガフィルムで撮影したのちフィルムスキャナーでスキャンしたデータのことだ。大学に入ってから目の前のもの全てが面白かったことは覚えているが、そこからなぜ「写真を撮ろう」と思い立ったかは全く覚えていない。いつの間にかカメラが首からぶら下がっていて、いつの間にか週に何回かネガを現像に出してはスキャナーと向き合う時間が自身の生活に組み込まれていた。

一枚のネガがデータになるまで、だいたい10分くらいの時間がかかる。その間はパソコンを触ることはできなくて(処理落ちしてしまうから)ひたすら待つしかない。ハードディスクを見る限りおおよそ5万点のデータを今まで作っていたようだが、そうすると単純計算で今までの人生28年のうち1年ほどはスキャナーを待っていたことになる。

今までフィルム写真を「作品」として展示することはほとんどなかった。撮影した瞬間が撮影者自身によって隠蔽されているように思えるから個人的なことをただ工夫もなく見せるのは気が進まなかったし、自分の撮ったものを見返すたび、面白いのは写真に写っている友人であって写真自体ではないと思っていた。だから今回は、単なる過去としてではなく、現在や未来の自分自身を示唆するものとして三枚のフィルム写真を展示に組み込むことにした。

一枚は、ちょうど今年の夏、本展とは別の展覧会の準備のために頻繁に会っていた友人の、2016年の写真。一枚は、その写真と同じ場所を、同じ友人と2022年に訪れて撮影した写真。そしてもう一枚は、現在自分が働いているWebデザイン会社が宣伝美術を担当していた展覧会を、友人たちと見に行く道中で撮った写真

この3枚に限らず、一見、写真に写っているのはある特定の瞬間であって経過ではないように見える。だが、一枚の写真からはそこに写っていない別の瞬間を容易に想像することができる。撮影休憩中の散歩。昨日食べた黒酢茄子弁当。お前が夜中に放った言葉。狭い車の匂い。パソコンの隣にいた人。それらもまた、写真に写っているのである。そして、写っている瞬間を無限に連続させることで経過そのものが失われる一瞬を「撮影」と呼ぶようになってから、自分の作家活動は始まったのだと思う。

この展覧会は、2016年から2022年に制作された旧作のみで構成されている。タイトルは「ホームスチール」とした。これは野球において走者が守備側の一瞬の隙をついて三塁から本塁に帰ること、つまり「ホームベースへの盗塁」を指す和製英語だ。

2018年(当時大学4年生)の夏に「明るい部屋での写真」という作品を作った時、教授から「打点なしのツーベースみたいな作品だね」とコメントをもらったことがあった。それは普段自分が写真のデータに対して行う操作(レタッチ、圧縮、アップロードなど)を無理やり物理的に再現するインスタレーションで、写真映えはいいけどそれ以上でもそれ以下でもないような作品だったから、「ツーベース」という言葉が妙に腑に落ちたのを覚えている。

ところで、今回は「過去作のみ」という縛り付きの展覧会だから、すでに打者が塁に出ている。あとは一瞬の隙をついて帰ってくるだけだ。